コラム『「アルヨ」の来し方と行く末』を読んで、ちょっとオイリーな「戦う気分」に共感する。
「暑いアルヨ」「いつ来るアルカ?」
小説や漫画で中国人が登場すると、その台詞の中に用いられるお決まりの語尾。じっさいには、中国人はおろか、日本に住んでいたり日本語を習得しようとする外国人がこのような語尾を使っている姿を見かけることはないのだが、これを「アルヨ言葉」と言うことがあるそうだ。
言語学的な研究によれば、幕末の開国の時期に来日した外国人が日本人と売り買いするために生まれたが、日清戦争以後は、マイナスイメージを付けて中国や中国人を描くために繰返し用いられるようになったという。
そして1980年代、良く知られているように、異能の少女の台詞として「アルヨ言葉」は華麗な転身を遂げた。
「Dr.スランプ」のアラレちゃんや「らんま1/2」のラムちゃんといった異能の少女。人間だかどうかはかなり怪しいがカワイイ、あるいは美系の少女キャラクター。銀魂の神楽ちゃんだって、今は破壊され宇宙の藻屑となってしまった夜兎星からやって来た女の子だ。
「中国を侮る視線が薄まり、かわりに『萌え』のニュアンスがまさってきました」
引用されている大学教授の指摘は的確だ。
コラムの締めは、近年の反中国的な言説の中で復活しているのは嘆かわしいことで、そんな無神経な使い方が広がれば「アルヨ言葉」の寿命も早々に尽きることになろうという警告となっている。
もはや、「萌え」は日本文化圏にとって精神的な柱の一つ。「もののあはれ」や「をかし」と同等の地位にあると言ってよい。その「萌え」を支える言葉として用いられる方が、ヘイトスピーチの代名詞になるよりば「アルヨ言葉」にとっては幸せな生き方であるにちがいない。
あるいはこの著者は、お市の方の身を案じながらも浅井を滅ぼさねばならない秀吉のような心境か。場合によっては「アルヨ言葉」もろとも抹殺せねばならぬという義憤。
戦わなければならないが、愛する者もまた救い出したいという、ちょっとオイリーな気分に共感した。
山中季広『「アルヨ」の来し方と行く末』2013年7月7日の朝日新聞朝刊に掲載されたコラムです
http://digital.asahi.com/articles/TKY201307060532.html? (有料サイト内)