雑記帳

私、渋谷次郎が調べたことや考えたことを書き留めておくためのブログです。

さいたま市内の、空間放射線量、水道水、降下物の測定結果

そろそろ、春の種まきシーズンが近づいている。

庭ではソラマメも花を付けているのだが、ちまたに漂う不穏な気配をどう受けとめていいか、心が迷う。せっかくの家庭菜園で不安になるとは。

さいたま市近隣では、どんな測定値が公表されているのかを調べていたら、以下のようなものがあった

原発事故に関する本県での放射線量について
(埼玉県発表、さいたま市内で計測)

基準値は満たしているものの、確実に数値は上がっているし、降雨の影響もはっきりと見て取れる。

放射性物質を体内に取り込んだ場合の健康被害(「内部被ばく」と言うらしい)については、何人かの研究者が発信する情報を読んで見た。

どうやら、外部から受ける放射線とはまったく別物だと考えなければならないという理屈は良く分かる。内部被ばくについては、それほど恐れるほどではないと強調するものと、空恐ろしくなるほどの見解を述べる方ときれいに2分されているようで、その中間を埋めるような情報が得られない。

「どんな物質をどれくらい摂取したら、長期的なスパンで見て統計学的にどれくらいの影響が出るものなのか」、ソラマメの花を眺める私が今一番欲しいのは、そんなデータなのだが…。

じつは、そのようなデータは、この世に存在しないのかもしれない。だから、危ないという警告と、それは考え過ぎだよという楽観論のどちらしかないのだと考えれば、この情報過剰時代の情報過疎にも合点がいく。実験ができるわけではなし、過去の大小の事故から、そんな要素分けしたデータが得られるわけもない。そして、20〜30年なんてスパンを考えたら、科学的な検証に値する「サンプル」を得るのは至難の技だろう。

飛行機の機内やレントゲンなど医療被曝といった外部からの放射線の影響と同列に論じているようなものは論外だと思う。他方、「体内に蓄積されること」や「至近距離における放射線は強い」ということを強調する意見を聞きながら疑問に思うのは、摂取した物質はどの程度蓄積され、どの程度体外に排出されるのかということ。これはもっと調べればでるのかしらん。 これは、楽観論でも悲観論でもそうなのだが、接近あるいは密着したところから発せられる放射線の量を(人体への影響という観点から)定量化できていないというところがもどかしい。
ああ、所詮は素人考えなのだが。
ただ、シーンはいよいよ、水と食べ物の問題になってきたようだなぁ。

ここ仙台では生鮮食品がとても入手しにくく、捨てるのであればぜひわけていただきたいです。私は50歳をすぎましたが、これらのホウレンソウをばくばく食べ、牛乳をごくごく飲んでも、私の寿命に影響がないことを知っていますので。東北大加齢医学研究所/川島隆太教授 (河北新報インタビュー

上記のインタビュー記事は、なんで脳トレの先生が答えているのかは知らんが典型的な楽観論。ときには、あんたやおいらの寿命など、もはやどうでもいいという気分になることがある。けれど、子どもたちの寿命を「どうでもいい」とは、やっぱり言えない。

※川島教授のインタビュー記事のなかで「どうでもいい」という表現は一切ありません。
※2川島教授の父親(故人)が放射線の測定器の研究者だったという指摘をいただきました。